火事始末記(2)

二階はおおかた燃えてしまっているのに対し、一階は比較的いろんなものが残っていた。不思議なのは火元に最も近い一階の仏間がほとんど無傷だったことだ。雨戸が閉まっていたのが幸いしたのだろう。仏壇にある母の位牌もいつもと変わらぬ様子でそこに鎮座していた。母は生前から物事に動じない人であったが、位牌でもそれは変わらないようだ。

消防署の人がやってきて実況見分が始まった。父から出火時の様子を聞き取り記録書類を作っている。ろうきんの火災保険担当者がやってきて、御見舞を述べた後、同じように実況見分をする。全てが焼け落ちた「全焼」ではないが、今後の使用には耐えない「全損」という見立てで、保険金は満額支払われる1)はずだ、と言う。

火元の隣家に一人暮らしをしていたお爺さんがうず高く積もった残灰の中から遺体で発見された。昨晩から連絡がとれず「行方不明」になっていたが、逃げ遅れて家の中で亡くなったのだ。よく火事のニュースで「火元の家に住む誰々さんと連絡がとれなくなっています」と報道されるが、きっと大半はこういったケースなのだろう。半年ほど前に奥さんを亡くし、一人で暮らしていたらしい。どうにも気の毒でいたたまれない気持ちになる。

ずっと旅館にいるわけにもいかないので、まずは仮住まいを手配せねばならない。こういう時にインターネットの不動産情報は役に立つ。駅のそばにすぐに入居できる手頃な賃料のアパートが見つかった。ちょっと狭いが当座の寝起きには十分だろう。

並行して消防署に対して「り災申告書」の作成をする。被害額を確定し、その後の罹災証明の元になる書類だそうだ。動産、不動産に分けて詳細に情報を記入する。火事に気付いてすぐに屋外に逃げた父は、何を思ったか、周囲が止めるのも聞かずに家の中に取って返し、不動産や保険書類、預金通帳や印鑑といった貴重品が入ったバックを持ち出していた。怪我一つしなかったので今では笑い話で済むが、一歩間違えれば「行方不明」がもう一人増えていた可能性もあったわけで、決して褒められた話ではない。しかし、結果として、この書類のお陰でり災申告書の不動産部分の作成は比較的スムーズに進んだ。動産は記憶を頼りに金額が高そうなものからリストを作る。現金、冷蔵庫、テレビ、カメラ、貴金属、着物などなど。

父は退職後に鉄道模型趣味にどっぷりとはまり、二階の一部屋は複雑に分岐したNゲージ線路で埋め尽くされ、数え切れないほどの電車・機関車が走り回っていた。これら模型類はほぼ全てが灰と化しているので、被害額を記入する必要があるのだが、父はごにょごにょと言を左右にしてはっきり数字を言わない。よくよく問い詰めてみたところ、年金暮らしの身分でありながら、なんとン百万も使っていたらしい。まったく困った老人である。

火災現場
かつて鉄道模型が走り回っていた部屋

1 よく柱一本でも残っていれば「全焼」扱いにならず、保険金が大幅に減額されると言われるが、それは昔の話で、今ではより現実に沿った査定がなされるらしい。