食べなさい

毎年元日は私の実家へ、2日はカミさんの実家へ行く。この二日間、我々の胃腸はその能力以上に全力稼働することになる。両方の家で食べ物が次々と休みなく出続けるからだ。とにかくお腹いっぱい食べさせてやりたい、美味いものを食べさせてやりたい、という親の愛情や気遣いはいくつになってもありがたいものだ。が、もういいおっさんになってしまった胃袋は、もはや昔のように食べ物を受け入れてはくれない。おせち料理なら煮物ときんとん、黒豆と角煮あたりをつまむと、早くも満腹感を覚え始める。すき焼きならサシの入ったピンクの牛肉一枚とくたっと煮えた野菜と豆腐少々ですっかり満足する始末。若い頃の暴力的とも言える無尽蔵な食欲を遠く懐かしみながら、今年何歳になるのか現実を自覚する瞬間である。

しかし、親から見れば子供はいつまでも子供。高校生くらいの最大瞬間風速的食欲を基準に食べ物が用意されており、食べなさい食べなさいの波状攻撃が展開される。さらに土地柄もある。北関東で「もてなし」といえば食べきれないほどの食べ物、飲みきれないほどの酒をたっぷりと供することと同義であり1)、かなり余るくらいでちょうど。お皿が空くこと、ましてや足りない、などというのは決してあってはならぬ。その結果、例えば、私がお酒の席で近頃愛飲しているノンアルコールビール、まぁ、アルコールは入っていないのだから、飲めても350ミリ缶せいぜい3,4本というところ、28本入り一箱が用意されているといった具合である。

All Free
4本増量

1 おそらく北関東だけでなく、日本中にこういうもてなし文化はある。司馬遼太郎「竜馬がゆく」にも、来客をもてなすために酒の一斗樽をかついで山を越え、正体がなくなるまで相手を酔わせてやっと満足する場面があった。