スーザン・ケイン著 古草秀子訳 (講談社)
アメリカ系企業は、研修(トレーニング)それも「インタラクティブ」な研修が大好きである。外資系企業で働いたことのある人の多くが経験しているはずだ。研修のオープニングの挨拶で講師が必ずと言っていいほど「今日のトレーニングはできるだけインタラクティブにしたいと思ってます」などと言う。つまりは一方的にレクチャーするだけでなく、皆さんからも活発に意見、コメントを出してくださいね、ということだ。その結果、講師から基本的な説明・解説を聞く以上の時間を、同僚の愚にもつかない感想やら意見やらを聞くのに費やす羽目になる。
本書にもある通り、アメリカ社会では、「外向的」(Extrovert) であることが高く評価される。他人よりもよく喋り意見を述べ、多くの人と一緒に何かをしようとする人がリーダーシップがあると見なされる。喋る内容は問題でなく、喋ることそのものが重要である。一方、日本を含むアジアでは必ずしもそうではない。口数ばかり多いやつは馬鹿だと思われるし人望も得られない1)。賢い人ほど普段は物静かなものだ。弱い犬ほどよく吠える、言葉多きは品少なしと言うではないか。
本書によれば、実はアメリカ人にも「外向的」であるのが苦手な人も少なくない。みんなと一緒にではなく、一人でじっくり考えて物事をすすめたいタイプも多い。それなのに、世間の評価を得るために、みんな無理して「外向的」を装わざるをえないのだ。著者もそういう無理をしてきた自分を振り返って、「内向的」だっていいじゃないか、世の中を変えるような意義のあることを成し遂げた人々の多くも「内向的」だったじゃないか、と言うのである。
アメリカのIT企業では、ここのところDiversity & Inclusionの掛け声とともに、人種、性別、性的指向など様々なタイプがそれぞれに自分らしく活躍できる職場をつくろうという活動が活発になっている。だが、この外向的・内向的という個性については相変わらず単一の価値を押し付けていて残念なことだ。著者のTED Talkは本書の内容が簡潔にまとまっている。
↑1 | こういう価値観が、シリコンバレーのアジア系移民・留学生が多い一部の高校にも最近では見られるという本書の指摘は面白い。 |
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